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2014年6月 5日

虚ろな十字架(東野圭吾)


11年前にひとり娘を殺された中原は、数年前に妻と離婚し、仕事も辞めて伯父から引き継いだ会社で働いていた。そこに佐山という、娘の事件のときの担当だった刑事が訪ねてくる。中原の元妻の小夜子が何者かに刺殺されたという。中原は、離婚後の小夜子の行動を調べてみることにしたのだが・・・。

残虐な事件をニュースで見るたびに「犯人は死刑かな?」などと単純に考えていたが、犯罪と刑罰の問題というのはとてつもなく大きくて複雑なものだと思った。中原の娘を殺害した蛭川。彼は最後まで反省することはなかった。もちろん、被害者家族への謝罪もない。そんな男が死刑になったとしても、はたして被害者の家族たちは救われるだろうか?私は救われないと思う。どこへもぶつけることができない怒りや悲しみが、生きていく限り続いていくのではないだろうか。
刑務所に入ってもまったく反省しない者。罪の意識にさいなまれ、苦しみながら毎日生活している者。はたしてどちらが罪を償っていると言えるのか?この作品を読むと分からなくなってくる。
「世の中で起こる残酷な事件。それは、どれとして同じものはない。なのに、みんな同じ死刑にしてしまっていいのか?」登場人物の口を借りて作者が読み手に問いかけてくる。いったい誰がこの問いに答えられるというのか?人が人を裁くことがいかに大変なことか、読んでいて痛いほど伝わってくる。「罪は償わなくてはならない」そんな当たり前の言葉さえ気楽には言えない。
小夜子の生きざまが切なかった。娘を殺されたというつらさを、彼女なりに乗り越えようとしていたのに・・・。

一体どこの誰に、「この殺人犯は刑務所に○○年入れておけば真人間になる」などと断言できるだろう。殺人者をそんな虚ろな十字架に縛りつけることに、どんな意味があるというのか。

作者の言葉は、読み手の心を深くえぐる。さまざまな重い問題を含んだ、読み応えのある作品だった。

ゆこりん : 19:34 | 作者別・・ひがしのけいご