« 探偵倶楽部(東野圭吾) | メイン | ガリレオの苦悩(東野圭吾) »
2008年11月16日
誘拐(本田靖春)
1963年3月31日、東京入谷で誘拐事件が発生する。誘拐された村越吉展ちゃんは当時4歳だった。警察の失態により事件は最悪の結末を迎える。犯人の手がかりもなく迷宮入りかと思われた事件だが、刑事たちの執念が犯人小原保を追い詰めた!
事件発生から犯人逮捕、そして刑の執行までを、時代背景や犯人小原保の生い立ちをからめて克明に描いたノンフィクション。
警察の誘拐事件捜査は、今では考えられないようなお粗末なものだった。電話の逆探知も思うようにできない。犯人の声の録音でさえ、被害者の父親がテープレコーダーを買ってきて設置するという有様だ。身代金もまんまと奪われ、吉展ちゃんも戻ってはこなかった。後手後手にしか動けない警察に対し、情けなくて腹立たしささえ感じた。犯人の小原保は、何度も捜査線上に浮かんだ。それなのに、彼のアリバイを崩せない。大金の出どころの話も嘘だと断定できなかった。犯罪が暴かれることはないと思ったのか、小原の態度にもふてぶてしいものがあった。だが、刑事たちの執念が小原を自供に追い込む日がやってきた。その過程は、生々しい迫力がある。誘拐を認めた時の描写は胸に迫るものがあった。
罪状から考えれば小原の死刑は当然だと思った。だが、彼の生い立ちや死刑確定後の生活を知ったとき、複雑な思いにとらわれた。どんな理由があるにせよ、本当に人が人を裁けるのか?死刑を宣告し、人が人の命奪っていいのか?短歌会「土偶」に投稿した小原の歌にも心を揺さぶられた。小原の死刑執行後、短歌会を主催する森川がこう言っている。
人が人の罪を裁き処刑することの矛盾が、被害者が
加害者の処刑を当然と考える封建時代の敵討意識に
繋る思想の恐ろしさなどが、私の脳裏を次々に掠めて
やまなかった。
読み応えのある、濃厚な内容の作品だった。ひとりでも多くの人に読んでほしいと思う。